高山 竹生寺 takeoji
ひとくちメモ
有富の山中にあり、車止めの所にある参道入口の案内板の横にそこから続く坂道の参道を登るための杖が置いてあります。 竹生観音と呼ばれ、 「後に峨々たる双峰を負うてはるかに響灘の波濤を望むところ、老樹枝を連ねて日月暫く中天に掛ってはじめて僅かに光を得、 厳泉ひそかに咽んで自ら幽すい、狐猿叫んで人の腸を断つ」境地とされています。
寺の縁起によると、創建は延暦6年間(787)に大和国森の郷の人実仲が開基とされています。 今の本堂は明治15年(1882)頃安岡の観察院の支配に任されていた頃に建立されたものです。 鐘楼堂は宝暦9年(1759)の建立と記録されています。 庫裏は大正末頃に建立されて、住職の子供さんが毎日山の下の小学校に通っていたそうですが、今は無住のお寺となっています。 また、木造観音菩薩立像、木造十一面千手観音立像はそれぞれ県と市指定の有形文化財に指定されています。
昭和7-8年頃までは馬を美しく飾り建てて参詣した初午詣でがおこなわれていたようです。 当日は若い頃よく参詣したという今年85歳になる母と参拝しました。 参道は昔に較べ整備されずいぶん登りやすくなったことや、最後の急な石段で祭当日若い娘さんが転げ落ちた昔話などを聞きました。 参拝を終え、帰りの参道途中から見た響灘の落陽が素晴らしかったです。