無量寿山 安養寺(厚母) anyouji
ひとくちメモ
光明皇后の発願によって創建された長門の国分尼寺の奥の院であったが、その後衰頽して廃寺になっていたが、
長府功山寺の開基毛利秀元が安養寺の寺号を厚母に遷し小刹を再建したものです。
厚母大仏(木造阿弥陀如来坐像)は像高八尺八寸八分(296.1センチ)のいわゆる丈六仏で、近郷では「厚母の大仏」「安養寺の黒仏」と称されています。
内りを施した楠材の寄木造りで、現在は古色塗りを施され、
右手は手の平を前にして屈し、左手は手の平を上にしてひざにおき、両手とも第一指と第二指の先を接して上品下生(じょうぼんげしょう)という印を結んでいる。
藤原末期の造像で破損は少なく、当代有数の様式を具えた技巧は素晴らしい。
昭和4年(1929)に文部省告示で国宝に指定され、昭和25年(1950)、文化財保護法の施行により重要文化財に指定されました。
大仏殿は文化庁、山口県、下関市の補助事業として平成15年(2003)新築し、この地域に残る土塀や土壁のある風景と一体となるように設計され 外壁には地元の土を固めた約千五百個もの版築ブロックを積み上げるという日本初の工法が採用されている。