光栄山 専徳寺 sentokuji
ひとくちメモ
国道247号線(長安線)の道路沿いに伽藍が建立されています。
創建は天文年間(1532-1553)末期頃の創建で開基は善了です。
善了はもと大内義隆の家臣原田越前守景種という武士で、天文20年(1551)陶晴賢に攻められ長門路を落ちて行った
大内義隆は大津郡湯本村の大寧寺に入り自刃して果てた。その間僅か三日間のもろい没落であった。
原田景種は出家遁世を決心して上洛、本願寺証如上人の得度をうけ、法名を善了を賜り、帰国し、有富村の自宅を開いて
寺堂とした。二世善人、三世善祐、四世善等と経て寛文9年(1669)に本尊如来の像を得て、寺号を専徳寺とした。
「川中の歴史」より