関亀山 引接寺 injouji

ひとくちメモ
永禄3年(1560)に創建された古刹。
慶長12年(1607)~文化8年(1811)の12回朝鮮通信使や日清講和条約の為に来日した、清国全権大使、李鴻章一行の宿舎となりました。
本堂は下関空襲で焼失し、左甚五郎作とも言われる「三門の龍」の彫刻がある山門のみが残されています。
詳しくは「引接寺の二伝説」
故郷の実家の菩提寺です。
参拝した当日は白とピンクのつつじが美しく咲いていました。
写真













永禄3年(1560)に創建された古刹。
慶長12年(1607)~文化8年(1811)の12回朝鮮通信使や日清講和条約の為に来日した、清国全権大使、李鴻章一行の宿舎となりました。
本堂は下関空襲で焼失し、左甚五郎作とも言われる「三門の龍」の彫刻がある山門のみが残されています。
詳しくは「引接寺の二伝説」
故郷の実家の菩提寺です。
参拝した当日は白とピンクのつつじが美しく咲いていました。











