旧村社 阿内八幡宮 ouchihachimanguu
ひとくちメモ
小月から内日に抜ける40号線が山陽新幹線と交差する場所にある阿内地区にある八幡宮です。 境内にある由来案内によると 創建は平安時代初期の貞勧2年(860)宇佐八幡宮を勧請したのが始まりです。 仲哀天皇の禊の地としての伝説があり、また、弘安4年(1281)の元寇の際霊験を現し長門探題から120石の神田を賜ったという。 文明3年(1481)に社殿が改築され、清末藩内の崇敬が厚かったと伝えられています。 明治7年(1874)に村社と決定され、拝殿は大正8年(1919)に建立され、平成19年(2007)に補修されています。
境内には末社として綿津見神社および菅原神社が建立されています。 菅原神社は文化元年(1804)に筑前国太宰府天満宮より霊を分かち祀ったと伝えられています。
神社から真すぐに続く田園の中に建立されている一の鳥居[1]を進むと石垣の上に楼門と回廊が見えます。 この八幡宮の門は、清末藩邸の表門を移したものです。 石垣の内側に狛犬が奉納されていますが、表門を移した時に門に合わせて石段を少し狭くした跡が見られました。
[1] 鳥居には寛政8年(1796)建立と刻年されています。