[豊神社]

ロゴ 時を巡るお寺神社の旅 (下関市) 

The guide to exploring the shrines and temples in Shimonoseki city and surrounding areas,Japan

下関市の神社や宗派は問わないお寺を紹介をします。 掲載している寺社を全て訪問することを目指しています。

 豊神社(ゆたかじんじゃ)  yutakajinja

拝殿
拝殿
祭神
誉田別天皇、素戔嗚尊、仲哀天皇、神功皇后、伊邪那美神、速玉之男神、事解之男神、高?神
系統
02.八幡神社
住所
〒751-0862 山口県下関市大字伊倉204番  Map
電話

ひとくちメモ

伊倉の地名は次のように伝えられている。 伊倉はもと生倉といい、和名類聚抄には 伊久倉とあり、法華寺文書には伊倉、応永9年(1402)の大内盛見文書にもいくらとあるといわれている。 これはもと意久といったもので、ある時代官倉が置かれ、その当時は意久倉と呼び、いつしかこれが地名となり、後に郷名を必ず二字にせよという お布令により生倉と定められ(防長地名淵鑑)、後世これがさらに伊倉に転訛したと考えられている。
伊倉郷は一時その領域が非常に広く、安岡、勝山、川中の三村に及んだということであり、青山を面影山といい、 長門国意久羅村にありと書かれた古い資料が発見されている。 伊倉の日の見山に奉納されている豊神社に「意久神社」という相殿がある。 「意久神社」は防長地名淵鑑によると三代実録 に「貞観15年(873)12月15日丙午、長門国意久神従五位下を授ぐ」と記されていると伝えられている。 いつのまにか祭神の由緒が忘れられ「意久神社」は「伊久八幡宮」というようになり、 明治12年(1879)の願い出しによると意久神社を相殿として祀られるとされる。 明治43年(1909)の神社整理の時、村内の熊野八幡宮と稗田八幡宮と伊久良八幡宮の三社を合祀することになった。 社名をどうするかという合議の結果当時川中の村名は豊西下村といっていたので、その一字をとって「豊(ゆたか)神社」とつけることになった。
「川中の歴史」より

筆者の氏神様です。昨年末(2010年)、拝殿をリフォームした無人の神社です。


写真

明神鳥居(大鳥居)
明神鳥居(大鳥居)
鳥居の額束
鳥居の額束
参道の鳥居と石段
参道の鳥居と石段
拝殿内の様子
拝殿内の様子
鐘楼
鐘楼
本殿
本殿
奥宮の入口
奥宮の入口
奥宮の石段
奥宮の石段
奥宮
奥宮
奥宮から拝殿を見る
奥宮から拝殿を見る
由緒看板
由緒看板
由緒看板1
由緒看板1
由緒看板2
由緒看板2
ぐみの実の塚
ぐみの実の塚
ぐみの実の塚由来記
ぐみの実の塚由来記
ぐみの実の塚由来記2
ぐみの実の塚由来記2
参道の狛犬
参道の狛犬
参道の狛犬
参道の狛犬
行事案内看板
行事案内看板